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始皇帝の文字統一
紀元前221年、秦は500年に及ぶ戦乱の時代を統一した。秦王政が自ら「皇帝」と称し、中国を支配する唯一の統制者であることを確立した。
同時、国内統治するため、度量衡の統一と全国共通の文字を定めた。 当時、秦の地方で使われた書体は大篆は、(現存する最古のものは石鼓文である)字画が複雑で書くには不便であったので、丞相李斯は始皇帝に命じられ、大篆を改良して新しい書体「小篆」を作成した。
石鼓文
始皇帝以前の秦国で誕生し、現存する最古の石刻文である。太鼓のような石に、1句4文字の詩を刻まれ、石碑の起源とも言える。通
常、始皇帝時代の泰山刻石の小篆に対して、石鼓の文字は「大篆」とよばれる。
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標準器の文字
度量衡の統一においては、始皇帝が新たに標準を制定し、その基準値を示す道具を作って全国に配布した。重さのについは「権」という分銅を、容積については「量
」という升を作り、経済的な取引や税金の徴収の際の基準とすると定めた。すべての標準器の表面
には、始皇帝が全国を統一した功績を小篆の書体で書かせ、全国に広めようとした。

陶器製の量
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20斤の権、 高さ8.5cm、底の直径12cm |
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泰山刻石
紀元前219年、東方諸国を巡視した始皇帝は、自分の功績を述べたたえた文章を石に刻ませ、泰山の他全国6ケ所の山に建てさせた。これが石碑の起源と言われる「秦始皇刻石」で、刻石の文字はもちろん標準書体の小篆である。しかし、これらの石碑はあまり長い年月を経ったので、石がしだいに磨滅してしまった。現在に残るのは、泰山刻石、琅邪台刻石のごく一部である。
泰山刻石の模刻(局部)
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篆書の展開
漢代、隷書の流行によって、篆書は正式な印鑑などの場合にしか使われなくなったが、唐になると、篆書はふたたび中興され、李陽氷(りようひょう)はその代表者である。篆書の流れは、大別
して二糸ある。一は秦の李斯−唐の李陽氷(りようひょう)ー宋の徐鉉(じょげん)の説文と流れる正糸と、古文雑体系がある。春秋戦国時代に、鳥を意匠した華麗な「鳥篆」で銘文を彫った剣のように、この古文雑体系も並行して流れ続けた。特に六朝時代は雑体書が隆盛し、その数百体に及んだ。

篆書千字文 「伏」
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※参考文献:人間と文字(平凡社)、書の宇宙(二玄社)
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